更新日:1月21日

初心者向け講座「整体的生活を始めよう」

(セルフケアの学習がメインの講座です)


整体の本を読んで敷居が高く感じたり、オカルト的なイメージを持つ方もいらっしゃいますが、実際は目が疲れた時、食べ過ぎた時、冷えた時の調整法や、季節に応じた過ごし方など、生活に役立つ知識がたくさんあります。食べ過ぎが肩こりに繋がっていたり、目の疲れが生理痛の原因いなっているなど、原因と症状の繋がりを知るだけでも価値があり、体の見方を少し変えるだけで生活は豊かになります。この講座ではセルフケアのご紹介を主に行います。

整体の知識を取り入れた生活を始めましょう。


日時

1月22日(土) 13:00〜16:00


会費

4,000円

(整体教室月謝参加の方 2,000円)


お持ちいただくもの

替えの靴下 お顔の下に敷くハンカチ

 

初心者、中級者向け講座「整体操法入門講座」

(実技がメインの講座です)


氣と型を用いて脊椎を調整する技術を整体操法と呼びます。

腹部の型、上肢・下肢の型など、部位ごとの整体操法の稽古に特化した講座です。

初めての方も歓迎します。


日時

1月22日(土) 17:00〜19:30


会費

4,000円 整体教室月謝参加の方 2,000円


お持ちいただくもの

替えの靴下 お顔の下に敷くハンカチ


どちらの講座も予約フォームかライン、お電話でお申し込みください。

〜「風邪の効用/野口晴哉」より引用〜


私の経験から言うと、いろいろな病気はたくさんありますけれども、自分で手掛けて一番難しいのは風邪です。私も昔、病気を治すつもりで風邪を治療していましたが、その当時は風邪というのは千変万化して非常に正体が掴み難いものでした。


実際風邪くらい厄介なものはない。また操法しだして一番難しい病気は何かと言うと風邪です。


その難しい風邪を世間の人は簡単に風邪だと考えて片付ける。ちょっと風邪を引いたくらいだと言っている。まあ乱暴というより他ない。


風邪は万病のもとという言葉に脅かされて自然に経過することを忘れ、治さねば治らぬもののように思い込んで、風邪を引くような体の偏りを正すのだと言うことを無視してしまうことはよくない。体を正し、生活を改め、経過を待つべきである。


こういう機会に風邪に対する考えが変わって、風邪というごく些細な体の変動に対する関心がもっと呼び起されれば、健康を壊すような風邪の治し方もなくなり、風邪を引くことで健康が壊れるというようなこともなくなるのではなかろうかと思っています。


〜引用終わり〜

 

整体教室1月のテーマは「風邪の効用」です。


風邪の治療がいかに難しいかを痛感し、治すべき病だと思うから難しいのだと気づき、風邪自体が体を修復する働きなのではと捉え方をひっくり返し、その働きを高めるために体を育むことが整体指導である。


「人間にとって風邪がどれだけ複雑で理解が難しいものか」という野口晴哉の実感が、整体は病気治しではなく体育であるという整体の基本への繋がります。


文中の「こういう機会」とは60年代のことですが、今の世の中を見ても野口先生は同じように「風邪にもっと関心を持て」と言うのではないでしょうか?


コロナはただの風邪ではない。耳にたこができるほど聞いた言葉ですが、ただの風邪とはどのようなものを指しているのでしょうか?

コロナの捉え方以前に、風邪の捉え方を考え直してみましょう。


風邪の効用を読むだけではわからない、実際の調整法を学びます。



稽古日

水曜昼クラス 14:00〜15:30

水曜夜クラス 19:00〜20:30

日曜朝クラス 11:00〜12:30

同じテーマでも稽古内容は毎回変えています。


会費

1回ドロップイン 2,000円(23歳以下の方 1,000円)

月謝 6,000円(23歳以下の方 3,000円)


お持ちいただくもの

替えの靴下、お顔の下に敷くハンカチ


予約フォームかお電話、LINEでお申し込みください。



ベルギーの心理学者へのインタビュー。

「なぜ未だに多くの人がコロナ物語を信じているのか」

自動翻訳で視聴するのも良いが正確性に欠けるので、以下のJ Sato氏がまとめたツイートが参考になる。ちなみにこの心理学者はあくまでも「コロナの危険性が過大評価されている」というスタンスなので、コロナは存在しないといった陰謀論寄りの人ではないと思われる。



たしかにコロナ前の社会を振り返ってみると、人間関係が希薄で生きがいを感じられる機会や仕事が少なく、老後の生活は大丈夫だろうかといった不安や人生がうまくいかないといった不満があり、他人が得しているのが許せない、自分と違う考え方は排除したいといった攻撃性が年々増していると感じていた。コロナでギスギスしたのではない、ギスギスがより顕著になっただけだ。

「未知の感染症と闘うこと」に久しく感じていなかった他者との繋がりを感じ、対策を徹底することに生きがいを感じるようになった。今までの人間関係が希薄過ぎたために、反動でその連帯感が中毒性の高いものになり、攻撃性は自粛しない人に向けられた。

メディアもまたコロナ以前から壊れていたのだが、ワイドショーが煽るならともかくNHKニュースや報道ステーションといった「真面目と思われていた報道番組」が連日感染者数で過剰に不安を煽り、自粛しない人にモザイクをかけて映し「まじめに自粛してる人」の攻撃性を刺激し、「実際より混んで見える写真」を載せて気の緩みを演出した。

「外出自粛を無視して賑わう商店街」報道は真実?"密"の演出を検証してみた



馬鹿げている方が絆を確認する儀式として機能するというのが恐ろしい。

儀式の象徴はマスクだろう。「あなたもこの物語を疑いませんよね?」という確認であり、騒動が終わっていないことを視覚的に意識させるアイテム。アイテムの使い方もどんどん雑になっていった。使う場所に合理性がなく、表面を触るのは危険といったことも誰も気にしなくなった。



視野狭窄の度合いも人によってかなり差があり、経済的にダメージがあった人や子どもが通う学校の対策の過剰さを見た人などは、比較的コロナ以外の問題にも気付きやすく、経済的にも精神的にもダメージの少なかった人ほど感染対策に熱狂したのではないか。

人と人が直接会いにくかった&会いにくい期間が長過ぎたのも分断が広がった原因だ。SNSは極論だけが目立つし、自分と同じ意見だけ集めがちだ。実際は攻撃的なニュアンスはないのに文字だけ見ると攻撃的に感じて距離を置くというケースもあった。



「ちょっと感染症の実態に対して過剰ではないか」という疑問すら陰謀論者としてひとまとめにする傾向がある。ウイルスという敵だけでなく、この戦いに疑問を呈する人も敵とする。敵が多ければ多いほど連帯感はより強まるし、「連帯から抜け出そうとする人」を許さない。

苦しみを共有するというのも連帯感を高める要素であって、マスクはなんだかんだ言って多くの人にとって煩わしいものであるが、「皆とその苦しみを共有している」のが一種の快感であり、同じ格好をすることで得られる安心感もある。ワクチンにしても人によって相当な苦しみがあるが、苦しみを共有することで絆は強固なものになり、その絆が行き過ぎると苦しみを共有する気のない者=接種しない人に対して排他的になる。


この方は3:4:3の割合で分類しているが、日本の場合2:7:1くらいだろう。世間体がすべての日本人のこの7割は「アクリル板とか意味あるのかなぁ?」といった疑問は感じるものの、そこから何か考えることはなく「コロナ落ち着いたら会いましょうね〜♪」という感じなので、今の現状に危機感を抱く1割の人は「おかしいと感じる私がおかしいのか」と落ち込む。

教育レベルが高いと洗脳されやすくなるというのは一理あるとはいえ本質ではないように思える。高学歴な科学者がオウム信者になったが、自分の存在意義を認めてくれることや居場所を与えられることに喜びを感じたからであって、結局は孤立や不安が洗脳の材料になっている。



収束させるための対策だ・ワクチンだという圧倒的な正義に対して、ワクチンの危険性を訴えるのは無謀であって合理的ではない。感染症の恐怖よりも私権が制限される恐怖、全体主義に染まる恐怖の方が強く感じる人が増えることが重要。全体主義は必ず自壊すると言うが、日本が再建できない自壊の仕方をするのではという不安がある。


全体主義が自壊した時、深く洗脳された人はなぜ自分がこうした思考に陥ったのか考えるので「騙された」という怒りは少なく内省し、「周りに合わせてついて行った大勢の人たち」は反射的に騙されたと感じると同時に膨大な損害に気づき、その怒りのエネルギーが煽った専門家や政治家に向かい、マッドマックスのような荒廃した世界になるのが嫌な自壊パターンの一つ。もう一つは、今経済的に影響のない人たちにも影響が出始めるとか、「お金はあるけど必要なものが海外から入ってこない」時にはもう手遅れで、多くの人が怒るエネルギーもなく、戦後のように成長する力もなく衰退していくこと。



2021年12月。

そろそろ、というかいい加減新規陽性者数を速報で流すのはやめるべきではないかと考えるかと思いきや「全国の濃厚接触者数」を報道し始め、濃厚接触者(not感染者)を宿泊療養施設に2週間隔離し、首相が此の期に及んで「対策はやりすぎの方がマシ」と言い出した。


気が狂いそうになって当たり前だ。

毎日気が狂いそうになりながらでもなんとか生き残るしかない。