フリーターだった頃、テレビ局で清掃の仕事をしたことがある。

各階にある喫煙所を掃除していく作業があって、吸い殻を回収しているとテレビマンの会話が嫌でも聞こえてくる。ドラマの撮影スタジオ横の喫煙所だと芸能人の誰が使いにくいとか、誰がセリフ覚えが悪いとかで、報道フロアの喫煙所で一度聞いたのは「早く被曝の被害が出ればいいのに」。


2012年の話だけれど、つまり「できるだけ早くかつ広い地域で被曝の健康被害が出れば”テレビ的においしい”ということだろう。「起こってほしくない悲劇」なんだけれど、それが起こってパニックなっている姿が見てみたいと願ってしまう。もともとそういう願望があるのか、長年テレビの世界にいるとそう思うようになるのかはわからない。


あの時のテレビマンが、今のコロナ騒動がおいしいネタだと喜んでいる姿は容易に想像できるし、絶対に手放したくない話題だと思っているだろう。メディアが誠実なら、事故で家族を亡くした人のところに記者が押しかけるとか、災害現場をヘリで撮影して救助を妨げるなんてことはなくなるわけで、それらがなくなっていないメディアに感染症というデリケートな話題を中立に報道できるわけがない。ワイドショーはあからさまに酷いけれど、NHKや報道ステーションなど「まじめな報道番組」が飲み歩く人、海水浴を楽しむ人を「我慢ができない大人」として映し、「こんな人がいるからいつまでも終息しないんだ」という視聴者の感情を煽り、分断を生む構成を見ていると、こちらの方が何倍も酷い。


コロナ騒動の何がおかしいのか考え出すと「闇の支配者が世界を変えるために動き出した」という陰謀に達してしまいやすいけれど、単純にそれぞれの立場でお互いの利害が一致しているだけのように思う。


メディアは高齢者が家に閉じこもってテレビを見てくれた方が良いし、野党は「国民の命を脅かすつもりか」で与党批判し続けられる。県知事は命を守るために動いてますアピールができ、感染症の専門家がこれだけ脚光を浴びる機会は人生に一度あるかないかくらいだ。


「長引いてくれた方が都合がいい人たち」ががっちりとスクラムを組んでいるのをほどく方法はどこにある?

「超空気支配社会」辻田真佐憲(文春新書)


p.43 「理髪業者にマスクをかけさせよ」100年前の感染症騒ぎ

当時の投稿欄のなかにはトンデモも散見された。

「朝日」の読者は、「僕が実行している感冒除けの法」として「肛門締め」なるものを紹介している。いわくー。

「諸君、試みに肛門を締めてごらんなさい。体にどんな変化が起こりますか下腹に力がはいり、口は堅く閉ざされるでしょう。そして神からもらった鼻というマスクが働きだします。これがもっとも単純で根本的な感冒除けです。またこれを不断に実行すれば不断の健康が得られます。」(1920年1月17日朝刊3面)

著者は当時のトンデモ投稿として紹介しているけれど、整体ユーザーはこれを笑えるだろうか?書いてある内容はまさに日々稽古していることだし、なんなら当時の整体ユーザーの投稿じゃないかと思ってしまうくらいだ。整体ユーザーじゃなければ中村天風の心身統一法実践者か?


「神からもらった鼻というマスク」と書かれると笑ってしまうけれど、鼻にフィルター機能があるのはたしかで、鼻毛が塵を取り、鼻粘膜には微生物の侵入を防ぐ免疫細胞が多く存在し、鼻から入った空気は加温・加湿され気管を痛めない。マスクを付けるということはこれらの機能を使わないということになるので、使わない機能は衰えていく。鼻に備わったフィルターだとか、自然に備わっている免疫それらがまるで存在しないかのような勢いで、マスクで守るしかない、ワクチンで守るしかないという。免疫なんてデマと言われる日が来るのだろうか?


下腹に力を入れる。下腹の力が抜ける。この違いも心と体にたしかに作用する。

例えば食卓に出された刺身を食べた後に「これ4日前のだったわ」と言われても、「ウーム」と下腹に力を入れれば多少痛んでいても体に作用しないが、言われた瞬間に「ハッとして」下腹の力が抜けてしまうと、本当はその日買った新鮮なものであっても具合が悪くなるということはある。


こういうことが感染症の検査でも起こる。陽性と聞いても気にしない人は何もないし、重症化するような体ではない人でも陽性と聞いた瞬間に「重症化したらどうしよう、死んだらどうしよう」という悲観的な想像が働いてどんどん具合が悪くなっていくこともある。ホテルで誰にも会えずに隔離なんて一番悲観的になる状況なので早くやめたらどうだろうか。


時代が狂っている時こそ輝くものもある。

胡散臭い民間療法、トンデモだと言われるのは上等で、それでも効果があると体で実感しているから稽古を続けるのだ。外から怪しく見えても入ってしまえばそれほどでもない。

ポップに肛門を締めよう。


音が鳴った瞬間に視界がパッと開けるような、澄み渡るイントロ、これからの季節に合った躍動感のあるサンバ調のリズムと清涼感のある歌声、米津玄師にもあるような歌謡曲のテイストも漂っていて、時代が求めるものが集約されている感じがする。

完全に自分と違う世代が時代を作っているという感じで喜ばしいことなんだけど、しばらく聴いていると汗臭いロックバンドの曲が聴きたくなる。


出演予定だったフェス中止の連絡を前日に受けたバンドマンのコメント。

このタイミングで中止になることと、こうした事情でライブ文化が壊されるのは言語道断なんだけど、バンドが何万人もの人を集めてライブをやることに違和感はある。


最近のフェスはファミリーでも楽しめるような、ピースフルな祝祭空間みたいなものを売りにしているけれど、近隣への配慮をしないと次回の開催が危ぶまれ、昨年以降は感染対策の徹底とやらで声援すら出せない。人気のあるバンドほどガイドラインを守ってライブせざるを得なくなるのだが、そもそもバンドマンなんて無法者の集まりであって、湿気臭くタバコ臭いライブハウスやりたい放題ぶちまけるのが魅力なのであって、「ライブハウスにルールなし、自分の身は自分で守れやボケが!」と言っていい職業なのだ。バンドマンはライブハウスに帰ろう。アンダーグラウンドにしか出来ない役割がある。


お上の言う通りに従っていたらいつまでも戻れないし、もういいですよとも言ってくれない。落ち着いたら行きますなんて言う人を待っていてもしょうがない。自分で落ち着かせて今来ている人と良い時間を作るだけだ。