top of page

〜「風邪の効用/野口晴哉」より引用〜


私の経験から言うと、いろいろな病気はたくさんありますけれども、自分で手掛けて一番難しいのは風邪です。私も昔、病気を治すつもりで風邪を治療していましたが、その当時は風邪というのは千変万化して非常に正体が掴み難いものでした。


実際風邪くらい厄介なものはない。また操法しだして一番難しい病気は何かと言うと風邪です。


その難しい風邪を世間の人は簡単に風邪だと考えて片付ける。ちょっと風邪を引いたくらいだと言っている。まあ乱暴というより他ない。


風邪は万病のもとという言葉に脅かされて自然に経過することを忘れ、治さねば治らぬもののように思い込んで、風邪を引くような体の偏りを正すのだと言うことを無視してしまうことはよくない。体を正し、生活を改め、経過を待つべきである。


こういう機会に風邪に対する考えが変わって、風邪というごく些細な体の変動に対する関心がもっと呼び起されれば、健康を壊すような風邪の治し方もなくなり、風邪を引くことで健康が壊れるというようなこともなくなるのではなかろうかと思っています。


〜引用終わり〜

 

整体教室1月のテーマは「風邪の効用」です。


風邪の治療がいかに難しいかを痛感し、治すべき病だと思うから難しいのだと気づき、風邪自体が体を修復する働きなのではと捉え方をひっくり返し、その働きを高めるために体を育むことが整体指導である。


「人間にとって風邪がどれだけ複雑で理解が難しいものか」という野口晴哉の実感が、整体は病気治しではなく体育であるという整体の基本への繋がります。


文中の「こういう機会」とは60年代のことですが、今の世の中を見ても野口先生は同じように「風邪にもっと関心を持て」と言うのではないでしょうか?


コロナはただの風邪ではない。耳にたこができるほど聞いた言葉ですが、ただの風邪とはどのようなものを指しているのでしょうか?

コロナの捉え方以前に、風邪の捉え方を考え直してみましょう。


風邪の効用を読むだけではわからない、実際の調整法を学びます。



稽古日

水曜昼クラス 14:00〜15:30

水曜夜クラス 19:00〜20:30

日曜朝クラス 11:00〜12:30

同じテーマでも稽古内容は毎回変えています。


会費

1回ドロップイン 2,000円(23歳以下の方 1,000円)

月謝 6,000円(23歳以下の方 3,000円)


お持ちいただくもの

替えの靴下、お顔の下に敷くハンカチ


予約フォームかお電話、LINEでお申し込みください。



ベルギーの心理学者へのインタビュー。

「なぜ未だに多くの人がコロナ物語を信じているのか」

自動翻訳で視聴するのも良いが正確性に欠けるので、以下のJ Sato氏がまとめたツイートが参考になる。ちなみにこの心理学者はあくまでも「コロナの危険性が過大評価されている」というスタンスなので、コロナは存在しないといった陰謀論寄りの人ではないと思われる。



たしかにコロナ前の社会を振り返ってみると、人間関係が希薄で生きがいを感じられる機会や仕事が少なく、老後の生活は大丈夫だろうかといった不安や人生がうまくいかないといった不満があり、他人が得しているのが許せない、自分と違う考え方は排除したいといった攻撃性が年々増していると感じていた。コロナでギスギスしたのではない、ギスギスがより顕著になっただけだ。

「未知の感染症と闘うこと」に久しく感じていなかった他者との繋がりを感じ、対策を徹底することに生きがいを感じるようになった。今までの人間関係が希薄過ぎたために、反動でその連帯感が中毒性の高いものになり、攻撃性は自粛しない人に向けられた。

メディアもまたコロナ以前から壊れていたのだが、ワイドショーが煽るならともかくNHKニュースや報道ステーションといった「真面目と思われていた報道番組」が連日感染者数で過剰に不安を煽り、自粛しない人にモザイクをかけて映し「まじめに自粛してる人」の攻撃性を刺激し、「実際より混んで見える写真」を載せて気の緩みを演出した。



馬鹿げている方が絆を確認する儀式として機能するというのが恐ろしい。

儀式の象徴はマスクだろう。「あなたもこの物語を疑いませんよね?」という確認であり、騒動が終わっていないことを視覚的に意識させるアイテム。アイテムの使い方もどんどん雑になっていった。使う場所に合理性がなく、表面を触るのは危険といったことも誰も気にしなくなった。



視野狭窄の度合いも人によってかなり差があり、経済的にダメージがあった人や子どもが通う学校の対策の過剰さを見た人などは、比較的コロナ以外の問題にも気付きやすく、経済的にも精神的にもダメージの少なかった人ほど感染対策に熱狂したのではないか。

人と人が直接会いにくかった&会いにくい期間が長過ぎたのも分断が広がった原因だ。SNSは極論だけが目立つし、自分と同じ意見だけ集めがちだ。実際は攻撃的なニュアンスはないのに文字だけ見ると攻撃的に感じて距離を置くというケースもあった。



「ちょっと感染症の実態に対して過剰ではないか」という疑問すら陰謀論者としてひとまとめにする傾向がある。ウイルスという敵だけでなく、この戦いに疑問を呈する人も敵とする。敵が多ければ多いほど連帯感はより強まるし、「連帯から抜け出そうとする人」を許さない。

苦しみを共有するというのも連帯感を高める要素であって、マスクはなんだかんだ言って多くの人にとって煩わしいものであるが、「皆とその苦しみを共有している」のが一種の快感であり、同じ格好をすることで得られる安心感もある。ワクチンにしても人によって相当な苦しみがあるが、苦しみを共有することで絆は強固なものになり、その絆が行き過ぎると苦しみを共有する気のない者=接種しない人に対して排他的になる。


この方は3:4:3の割合で分類しているが、日本の場合2:7:1くらいだろう。世間体がすべての日本人のこの7割は「アクリル板とか意味あるのかなぁ?」といった疑問は感じるものの、そこから何か考えることはなく「コロナ落ち着いたら会いましょうね〜♪」という感じなので、今の現状に危機感を抱く1割の人は「おかしいと感じる私がおかしいのか」と落ち込む。

教育レベルが高いと洗脳されやすくなるというのは一理あるとはいえ本質ではないように思える。高学歴な科学者がオウム信者になったが、自分の存在意義を認めてくれることや居場所を与えられることに喜びを感じたからであって、結局は孤立や不安が洗脳の材料になっている。



収束させるための対策だ・ワクチンだという圧倒的な正義に対して、ワクチンの危険性を訴えるのは無謀であって合理的ではない。感染症の恐怖よりも私権が制限される恐怖、全体主義に染まる恐怖の方が強く感じる人が増えることが重要。全体主義は必ず自壊すると言うが、日本が再建できない自壊の仕方をするのではという不安がある。


全体主義が自壊した時、深く洗脳された人はなぜ自分がこうした思考に陥ったのか考えるので「騙された」という怒りは少なく内省し、「周りに合わせてついて行った大勢の人たち」は反射的に騙されたと感じると同時に膨大な損害に気づき、その怒りのエネルギーが煽った専門家や政治家に向かい、マッドマックスのような荒廃した世界になるのが嫌な自壊パターンの一つ。もう一つは、今経済的に影響のない人たちにも影響が出始めるとか、「お金はあるけど必要なものが海外から入ってこない」時にはもう手遅れで、多くの人が怒るエネルギーもなく、戦後のように成長する力もなく衰退していくこと。



2021年12月。

そろそろ、というかいい加減新規陽性者数を速報で流すのはやめるべきではないかと考えるかと思いきや「全国の濃厚接触者数」を報道し始め、濃厚接触者(not感染者)を宿泊療養施設に2週間隔離し、首相が此の期に及んで「対策はやりすぎの方がマシ」と言い出した。


気が狂いそうになって当たり前だ。

毎日気が狂いそうになりながらでもなんとか生き残るしかない。

この記事はフィクションです。


アナ:「赤コーナー花子さんがコロナ騒動に疑問を抱いたのは昨年8月、一時は陰謀論にハマりかけましたが、毎日必死に正気を保っています。」

解説:「青コーナー太郎さんは2年間自粛を徹底し、今年10月に外食を解禁、もちろん接種済みです」

アナ:「さあ、ゴングが鳴りました!」


「ねえ、コロナ感染者数&死者数のカウントの仕方っておかしいと思わない?」

「おかしいとは思わないよ」

アナ:「おお、太郎選手、いきなりかわしましたよ」

解説:「かわしてるのか逃げてるのかギリギリですよ」

「え、なんでおかしいと思わないの?結局感染して発症した人は何人とか、コロナ感染が直接の死因だったのは死者数のうち何人かとか、知りたくない?」

「うん、知りたいと思わないよ」

「知りたいと思わないのは不健康な発想だよ。膨大に膨れ上がった感染者数に影響されて皆一喜一憂してるんだから」

「知らなきゃいけないことなの?」

アナ:「太郎選手、定番の攻撃に出ましたね」

解説:「花子選手、びっくりしています」

「知らないといけないでしょう、汗水垂らして働いて納めたお金も検査、治療に使われてるんだから」

「そりゃそうだろうけど、過剰な検査、過剰な入院が多いって疑った前提で話してるよね」

アナ:「太郎選手押してきましたね」

解説:「『頭から疑うなんてひどい!攻撃』は花子選手が苦手とする技ですからね、どう切り返すか」

「普通は疑うでしょうが。国だって、WHOだって何してるかわかんないでしょ」

アナ:「おっと出ました、逆ギレです。」

解説:「花子選手は自粛の影響をもろに受けた居酒屋店員ですからね、国を疑うのは仕方ないですね」

「感染して発症した人を初めて『感染者』としてカウントするのがこれまでの常識だったものを、検査して陽性が出たけど発症してない人も感染者として報道し続けてる。日本のコロナ死者の平均年齢は80超えてるし、これまでは風邪をきっかけに肺炎で死んだら死因は肺炎、風邪をきっかけに老衰で死んだら死因は老衰としてカウントされてたものが、コロナ感染をきっかけにした肺炎も老衰もコロナ死としてカウントされてるんだよ?」

「たしかに変だね、分類が変わっただけで日本では死者数は大きく増えてないし」

アナ:「出ました!変形技『素直に認める』を出してきました」

解説:「冷静に聞くと変だと思うんですよね」

「まぁでもしょうがないよね、検査も隔離も今はそういう決まりなんだから」

「その決まりが過剰だったって認めると、自粛を頑張ってきたことが無駄になるから認めたくないんじゃないの?」

アナ:「花子選手、挑発しています」

解説:「太郎選手、冷静に切り返せるでしょうか」

「だったら言わせてもらうけどさ」

アナ:「太郎選手ひっかかりました!」

解説:「見てください、若干鼻の穴が開き気味です」

「あのね、100年に一度の世界的パンデミックなの。収束させるためにWHOの指示に従うべきだし、日本国民にもその指示はちゃんと伝えられて、まじめに自粛してるからこの被害で済んでるの。日本の対策はWHOにも、海外からも成功だって言われてるの」

アナ:「あ、花子選手、ひるみました。太郎選手得意げです。最終兵器『世界から褒められる日本』炸裂しました!勝利を確信した笑顔です!」

解説:「待ってください、花子選手の口元がニヤリとゆがみました!あの口元は危険です!」

「WHOの指示を誰が伝えてるの?」

「尾身さんとか、感染症の専門家とか」

「WHOで働いてた尾身さんと、とにかく感染症をこの世からなくしたい専門家の発信に中立性ある?世界の感染状況に明らかに地域差があるのにそれには一切触れず、とにかく対策を徹底せよと号令を出し、高揚し、盛り上がり、感染対策こそ正義であることに異論を挟ませない空気を作った結果生まれる自粛の弊害は膨大だよ?なにもしなかったら42万人死ぬって言ってたけど、このままじゃ自粛の弊害で42万人以上死ぬよ?日本ていう国自体なくなるかもよ?」

アナ:「花子選手、一気に反撃です」

解説:「多少強引ですが、国よりもむしろ国民が好戦的になって従わないものを攻撃し、自粛の弊害に目を向けないところや、死の恐怖で集団の心理を掌握する専門家の様子がカルト的で戦時中の日本と被るというのが花子選手の主張です」

アナ:「おっと果敢にも太郎選手が口を開きました!」

「でも、人がいっぱい死んでるんだよ!」

アナ:「出ました、必殺『感情に訴える』です」

解説:「花子選手、ポカーンとしています。無理もありません」

「だから日本は複雑な要因で少ない数で済んでる可能性があって、その可能性をないこととして欧米と同じように自粛してたら感染症以外の理由で死者が増えるって話をしてるんだけど」

「死者が少ないから軽視するって、コロナで家族を失った遺族に言えるのか!」

アナ:「うわー!場外乱闘だ!花子さんは軽視しようとは一言も言ってない!噛み合わない論戦が開始されました!」

解説:「立ってるリングが違うようなもんですからねえ、疲れるか話題が逸れるまで続きますよ」

「感染者数&死者数のカウントの仕方がおかしいっていうのは、そう思うんだよねぇ…?」

「うん」

アナ:「ちょっと待ってください!話が1ラウンド目に戻ってませんか?どういうことだ!」

解説:「これはコロナあるある『話が進んだと思ったら振り出しに戻る現象』ですね。振り出しに戻るとわかっていながら、花子さんとしては確認し直すしかないんです。」

アナ:「政治と宗教とコロナの話は迂闊にしてはいけないってこういうことだったんですね!」

 

10年前、宗教2世問題に悩んだ時に「真面目に考えてしんどくなるならたまには笑い飛ばした方が良い」ということを教えてくれた人を思い出して書きました。


「おかしいと思う私がおかしいんだろうか」と思う人、笑い飛ばしましょう。

bottom of page