戦争責任者の問題

伊丹万作「戦争責任者の問題」(1946年8月)


伊丹十三の父が敗戦の翌年に書いた文章だが、文中の「戦争」を「コロナ」、「ゲートル(脛に巻く脚絆)」・「戦闘帽」を「マスク」に置き換えれば、そのまんま今のコロナ責任者の問題として読むことができる。


以下抜粋


「だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、『だまし』の専門家と『だまされ』の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。」


「ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。」


「たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。」


「そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。『諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか』と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。」


「だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、『だまされるということ自体がすでに一つの悪である』ことを主張したいのである。」


「だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。」


「『だまされていた』といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」

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戦時中と同じ状況でメンタルを健やかに保てるわけないんだけど、安倍政権以降あれほど「戦時中の雰囲気に近づいていて危険だ」と言っていた人達が戦争に加担していることが二重に辛い。

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