マインドの重症化2
8月の初めに海水浴に行った。
初めて行った海水浴場で、人の少ない場所から海に入ったら岩があちこちにある。足に岩が当たらないように恐る恐る入っていたら、ライフセーバーの女性がやってきて「この辺りは岩が多いのであっちの方に行くといいですよ」と、案内された場所に移動してみると確かに岩がない。その辺りに海水浴客が多かったのには理由があったのだ。もちろん全ての客が岩の多い場所を知っていたわけではなく、同じようにライフセーバーに促されて移動したのだろう。岩のない場所を教えてくれただけでライフセーバーが女神のように見えた。
なんでもかんでもコロナ問題に当てはめることに自分でもうんざりするのだけど、今の日本のコロナをめぐる状況は「ライフセーバーのいない海水浴場」みたいなものじゃないかと思った。ライフセーバーがいない代わりになぜか保健所の職員が砂浜に立っている。溺れた人がいても救急隊員が海に飛び込んで救助するとこからやってたら、そりゃ疲弊するでしょう。早期にライフセーバーに救助され、救護テントで休めば何事もなかったはずの人も意識不明になって運ばれたらそりゃ病院は逼迫するでしょう。保健所の職員や医者が海に入るなと叫び、一年以上客が怒られ続けていないか?
もちろんここで言うライフセーバーとは町医者のこと。
ちょっと熱が出たくらいで、ちょっと咳が出たくらいで病院に行くなんて生き方はやめなさいと戒めるのが私の仕事だけれど、「すぐ病院に行ける」ことが多くの人にとって安心できる社会だったのは事実で、それが急に出来なくなったのだ。「すぐ病院に行け過ぎた」日本人が、「原則自宅療養で」と聞いて見捨てられた気になるのも無理はない。去年の初期に話題になったスウェーデンは「風邪は自分で治すもの。病院は重症の人のために空けておく」という考え方が国民に浸透しているので入院できなくてもパニックにはならない。
今の日本人は「デルタ株は怖いんだ」という不安以上に、「今感染しても自宅放置されるかもしれない、重症化しても入院できないかもしれない」という不安の方が大きく、その気持ちがさらに重症化を誘発させる。日本人に必要なのは専用病床でもワクチンでもなく「すぐ診てくれる町医者がいる安心感」だ。残念ながら日本人は町医者なしに正しい自宅療養なんて出来ない。
本当に不思議だけれど、こういうことが起きるのが人間。酸素飽和度なんて絶対自分の意思ではコントロールできないはずなのに、「不安」で簡単に変化する。気持ちをどう持つかでそれが体に良い影響を与えたり、悪い影響を与えたりするということが非常に重要なことであると考えるのが整体で、風邪の効用というのは風邪を引くと体が掃除されて良いのと同時に、「風邪は引いた方が良いと思った方が経過(治り)が早い。
以下「風邪の効用/野口晴哉(ちくま文庫)」から抜粋
病気になりたい要求(p.99)
「あの人は自分を見てくれない、病気になれば親切にしてくれるだろう」と思うと病気になりたい要求が起こる。(中略)そういう心で風邪を引いたのだから、「私が風邪を引いたというのにちっとも親切にしてくれない」とか、「こんなことで治ったら損だ」などという考えも出てくるわけです。
未練症状(p.103)
病気の治りかけになって、もうちょっと病気をやっていたいという要求が起こって、それでまた病気を繰り返すというようなことがよくある。私はそれに「未練症状」という言葉を当てましたが、どこかに不平が抑えられている場合には、「治る」などと言われると、「もっと悪くなりたい」と思う。
気張りは体の自然を乱す(p.108)
癌になったと言われてハッとなり、癌と闘おうなどと決心すると、自分の心の中の全部の消極的なはたらきが動員されてしまって、その反抗作用で、自分の体のはたらきを弱めてしまう。
受身な心と風邪(p.118)
風邪の性質そのものが細菌に困るものでないこと、だから予防注射をして風邪を防ごうというような受身な心が、風邪を誘発しているのかもしれないということを解って頂きたい。
前回書いたようなことが重症化が増える重要な要素だが、こうした「病は気から」の部分を舐めてはいけない。
陽性という判定を見た瞬間に、「死ぬかもしれない」という空想が働いて重症化するようなコンディションではない人がどんどんそちらの方へ向かう。
「これだけ対策したのに感染した、ひどくなるに違いない。悲惨な目に遭った私を見て欲しい」という気持ちが重症化へ向かう。
自分で自分を大変だと思い、周りもまた防護服を着て大変な人として扱うから、ますます深刻な事態のように思え重症化していく。
「絶対に感染してはいけない危険なもの」という発信をしている限り、こうした重症化は減らない。入院できないかもしれませんよという脅しも逆効果。
コロナから逃げ続けるという神経症。感染させるのが怖いという神経症。どちらも「忘れさせる」しかない。「いつからそれが気にならなくなったか覚えてない」というのが神経症が治ったということなので、専門家がメディアに出続ける限りそれを忘れられない。
上医は社会を治す。病気ではなく社会を治せているでしょうか?
最新記事
すべて表示先月サマソニに出演したイギリスのアーティスト。 「主催のおっさんがごちゃごちゃ言うけたけどめちゃくちゃにしたったわ」と笑顔で振り返る姿に、ろくに曲も聴いてないのに一発で好きになった。 心にヤングブラッドの精神で行こう。 沈没する日本で生き残るにはヤングブラッドになって好き勝...
「絵がうまいね。そのかわりにマスクしてね。」 「ポケモンの絵がじょうず。マスクしてや。」 「3年生になってもマスクつけてね!みているからね」 マスクマスクマスクマスク。 2年生で完全に定着している「マスクするのが普通」という認識。低学年だからこそ定着していると言うべきか。...
漫画家の倉田真由美さんは昨年からコロナを巡るあれこれに対して「おかしいのではないか」と発信している数少ない著名人だが、その倉田さんが「自分って意外と長いものに巻かれないところがあると知れた、今まで知らなかった自分に出会えた」と話していた。...
Kommentare